サイゼで満腹になろうとすると3000円くらいかかるので結局いきなりステーキの方がコスパいいのでは?(名推理

私は英語が嫌いだ。
どれほど嫌いかと言うと、あまりに嫌いなものだから差別主義者になってしまうほどには嫌いだ。
高々20日程度オーストラリアに滞在しただけでその考えに確信を持ったのだから、やはり私は差別主義者なのだろう。
英語嫌いを拗らせたオタクの戯言では?と思った読者諸氏、全くもってその通りなので安心して欲しい。
英語に限らず、あらゆる言語には浄化作用があると思う。言語とは民族のアイコンであり、コミュニティ内で他言語を話す者を区別、あるいは同化させる。
米英本位の平和主義が為されてから80年近く経とうとしている現在もなお、多くの言語の多くの語彙が英語に殺され、文化が消えつつある。
バベルの塔が崩れて以来数千年ぶりに人類の言語がひとつになろうとしているのかもしれない。少なくとも、私はそのような世界など全くもって望まないが。
とはいえ、今の私に出来ることなど、どこでもいいから大学に入り、さっさと卒業、就職し、英語を話させられる機会を減らすくらいだ。いまや英語とは、資本主義と同じく抗ったところで意味の無い物と化しているからだ。
事実、このような事を書きながらも私はゲームの中で多くの英語に触れている。全くもって滑稽な話ではないか?

それはそれとしてサイゼで食事を取ると値段の割にあまり腹が膨れないのをどうにかしたい。やっぱり肉とラーメンが最強ってことなんだろうなぁ(若気の至り)

入試まで何日だっけ(痴呆)

私は浪人生である。
最近の予備校は、入試までもう100日を切ったからかどこか忙しなく、ピリついた雰囲気を感じる。
そんな中私はと言うと授業が終わるや否やゲームセンターに突撃しガンダムの筐体に100円を投じ、PセルフのNサブに焼かれ、サザビーのN特に切られ、「イヤ-コレハバンダイノチョウセイガワルイハオレマジメニヤッテタカラナー」と言い訳し、また100円を投じている。
あまりにも意識が低い。
これには有明海の干潟程度の深さの理由がある。
元々、大学と言う制度に反感が多く、就職学校の為に400万前後を投じるのが馬鹿馬鹿しいと感じているからだ。
とはいえ、我が国に於いては高卒で働こうとすると多大な労苦を強いられるし、親の金で予備校に通っている手前、それに見合った成果は出さねばならないだろう。
それに、家の方針で大学に入学すればバイトが出来るようになるので、その為にも、やはり大学進学は行わなければならない。
まあ福岡から出るつもりもないし、元々長時間の勉強に向いていない人間なので、意識が低すぎることには親も私も諦めている。模試の成績がそこそこ良いことがさらに拍車をかけているのもある。
そういうことなので、今日もまた授業が終わると同時にゲームセンターへ突撃している。



なのでAARの更新は来年の3月頃になりそうです(超小声)

【HoI4】この荒んだ現実から加速せよ#1 ~Red Flood MOD アヴァンギャルド・フランスAAR~

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加速せよ

 

 

 

 

 

 

アヴァンギャルド・フランスの現状

先の大戦において、フランスはドイツによって甚大な被害を受け、結果として自由民主主義政府は崩壊しました。が、しかし。混乱に乗じて未来派の加速主義者が政権を握ると、状況はさらに悪化しました。

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未来派が政権を握ったことで、政府の権威は著しく低下し、国内には無数の準軍事組織が現れ、日夜略奪と蛮行を繰り返したためです。

これにより国家の分断は加速。さらに、政権を支持しているのは都市部の、しかもル・ソレイユ(旧パリ)近辺に限られていました。結果、階級間の分断どころか地方と都市の分断まで進むという最悪の状況に。スピードと復讐を掲げる民兵団のお陰で、力無き物は明日生きているかすらわからないような社会になってしまいました。

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このような事態に至った要因の一つに、フランス国軍が解散されたからという事象があります。アントナン・アルトーは、国軍によるクーデターを恐れ、1935年には完全に軍隊を解散させ、国防の任務を「エスカドロン」と「アセファル」という有力な民兵団に任せていました。

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アセファルやエスカドロンに限らず、多くの民兵や住人は、社会主義ドイツに対して強い敵意と抵抗を示しています。というかこのような状況でもフランスが未だに国として残っているのは、反共というただ一つの点においてのみ人々が同じ意見を持ち、国際社会も、ドイツの勢力拡大を防ぐというただそれだけの目的で、フランスの存在を黙認しています。

 

現状を纏めると、この時点だとほぼ詰みに近い末期国家です。というか国家元首が薬中のキチ〇イな上に碌に法の支配も及ばず国内では略奪と強姦が横行し国際社会からも半ば見放され市場なんてものもあったもんじゃないような国がまだ国としての形を保ててること自体が奇跡では?

 

国内の平定

このままではいずれドイツに飲み込まれてしまう。ということで、アルトーは改革……というより国内の統一を迫られる形となりました。

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複数の民兵団が割拠する中、アルトーはアセファルを排除し、エスカドロンによる権力掌握を進めました。

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アルトーのこの行動に反発する形で、幾らかのアセファル構成員がフランス領モーリタニアへ脱出。モーリタニア無頭領を宣言しました。

アセファルとは無頭人と書き、史実ではジョルジュ・バタイユの著書、「無頭人(アセファル)」で名前が登場しました。RFにおいて、バタイユは自らの民兵団であるアセファルを率い、新たな共同体の設立を企てていました。が、その為にはならず者国家との貿易や闇市の受容すらも行おうとしたため、こうしてアセファル共々フランスを追われることになりました。

まあ何はともあれ。

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エスカドロン主導によって会社組織が一元化され、また文化改革が行われたことで、国内の生産力が多少向上しました。

 

国外の状況

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日中戦争の結果、日本で革命が発生。戦線は膠着状態で、決着がつくには時間がかかりそうな状況。

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それとほぼ同時期、ロシア帝国の指導者、アレクサンドル・コルチャークが暗殺。実行したのはノヴォロシア総督府であり、総督府は本国へ宣戦布告。

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一方のフランスも、多くのフランス系住人が居住するワロンを中核州として併合した。

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スペイン内戦スーパーイベント

そんな中、スペインで内戦が勃発した。

内戦は国民戦線(加速主義)、共和派(進歩主義)、コミューン(無政府主義)の三勢力で行われた。

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フランスはカタルーニャへ進駐すると同時に、加速主義の国民戦線の支援を表明、義勇軍を送った。

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結局、フランスの支援もありスペイン内戦は8カ月程度で終結。加速主義を掲げる国民戦線が国内を統一した。

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アメリカではアメリカン党が選挙に勝利。英連邦と接近しないか少し恐ろしいところでしたが、モンロー主義を継続するようで安心しました。一生新大陸から出てこないでくれ

 

スペイン内戦後の世界

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エスカドロンはまさに無慈悲と言える近代化を実施。退廃文化は禁止され、国内は未来派芸術によって統一されました。

これにより、ようやくまともに人員を動員することが可能に。内戦の経験も活かし、フランス軍は急速に拡大していきます。

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日本内戦は革命勢力の勝利という形で終結。人民社会主義を掲げる日本労働党革マル派が政権を握っています。

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イギリス領マシュリクは崩壊し、加速主義のイスラエルを含む4か国に分裂。フランスとしては、このイスラエルを支援したいところ。

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オーストリアではエンゲルベルト・ドルフース率いる独裁政権が拡大。ハプスブルク家の支配を終わらせ、イギリス・イタリアの後ろ盾の下に中欧とドイツを席捲するのが狙いか。

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そしてロシアでは、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ陛下がアナスタシア1世として即位。

……本物なんですかね?まあ加速主義を掲げる国家が増えて嬉しい限りです。

 

 

 

今回はここまでです。次回は1938年1月から

【HoI4】この荒んだ現実から加速せよ#0 ~Red Flood MOD アヴァンギャルド・フランスAAR~

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加速せよ

 

 

 

 

 

 

Red Floodとは?

 第一次世界大戦は、全世代を巻き込んだ。多くの少年、青年たちが、最前線の野原で苦難と鉛に直面した———実現しなかった平和のために。残された人々は、絶望的な現在からはるかに大きなものに目を向けた。イギリスの島々では、自分たちが持っているものに目を向け、ドイツの中心地では、自分たちが持てるものに目を向け、フランスの都市では、自分たちが夢見ることしかできないものに目を向けたのだった——(Steamワークショップ、RedFlood紹介文より引用、和訳)

 

 簡潔にまとめると、第1次世界大戦の収拾を誰もつけることが出来ず、これまでの国際秩序が完全に崩壊した、という「IF」系MODになっています。

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画像の通り、ロシアでさえも中央集権を行えるだけの余力が無く、僻地に総督府を置き、彼らに統治を代行してもらうことで何とか国としての体裁を保っています。なお、ゼルトロシア、ザバイカル、天威、アルタイはロシアの影響下に無い地域であり、特にゼルトロシアは、アレクサンドル・ケレンスキー大統領によって統治されるロシア帝国への対抗政府として存在しています。

 

今回プレイする国家と周辺国家の紹介

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アヴァンギャルド・フランス

今回の主役。第一次世界大戦が有耶無耶になったのち、崩壊した自由民主主義政府に代わって誕生した、加速主義を奉ずる新フランス。「ル・パトロン」とも呼ばれる俳優、詩人にして小説家、演劇家のアントナン・アルトーと、アセファル、エスカドロン、ケルト国のような無数の準軍事組織によって秩序が形成されている。尤も、彼らの秩序下において重視されている物は「スピードと復讐」という2つの価値観であり、それ故か国家の分断は進み、政治的にも不安定で産業も低迷、治安も悪いと国と表現するにはあまりに粗末な状態である。

対外関係として、かつての植民地であったアンティル諸島ギアナにカリブ未来主義諸国を傀儡国として従えているほか、フィウメと共に太陽連盟を結成し、加速主義を世界へ伝播せんと務めている。少なくともアルトーは。多分。なお、前述以外の殆どの国との関係は物凄く悪い。

 

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フィウメ

正式名称「イタリア・カルナロ県」

フランスの同盟国。イタリアの詩人、ダンヌンツィオが建国した国家。史実においては1919年から1924年までの間に存在した国家だが、この世界においてはフランスとの同盟もあり、1936年現在も存続している。しかし、国内は安定しているとは言えず、所謂スランプに陥っている。

 

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イギリス

正式名称「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国

政府崩壊のグダグダにかこつけて西アフリカやらシリアやらカレーを奪って行ったフランスの敵。クソッタレ紳士。しかしながら向こうも国内の分断やら経済危機やら戦争へのトラウマやらで大変なことになっているらしい。

 

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ドイツ社会主義共和国

第一次世界大戦において、フランスには勝てたもののロシアには勝てないまま国内で革命が起きたことで成立した。スパルタクス団によって起きたこの革命により、新生ドイツは世界初の社会主義国家として、世界中から孤立させられている。

フランス的にはいずれ敵対することになる相手であり、向こうとしても、いずれ排除しなければならないという不俱戴天の敵同士である。

 

(補足)加速主義について

 加速主義とは、やや強引に纏めると社会に変革をもたらすために資本主義を拡大しようという思想、運動である。資本主義というものは強力であり、これに対しての抵抗は最終的には資本主義の枠組みに吸収されてしまう。ならば、これに対して抵抗せず、むしろ発展=加速させることで変革をもたらす、という思想だ。

 しかしながら、RedFloodにおけるこの思想は、未来派運動や前衛芸術運動、さらには全体主義民族主義グノーシスなどの思想を吸収……というよりこれら雑多な運動や思想を全部ひっくるめて「加速主義」と呼んでいる。そのため、実際の加速主義運動とは少し違っているということを念頭に置いて欲しい。(そもそも国家再生主義だとか未来主義、技術家主義とか、仕舞にはスピリチュアルまでもが加速主義と呼ばれてる辺り、RF開発はこの思想をフリー素材か何かと勘違いしているのではないだろうか?)

 

まとめ

今回はMODやプレイ国家の解説だとか、加速主義へのちょっとした補足を行いました。プレイ自体は次回からとなります。全体として、今回を除く4話構成となる予定です。どうぞ本編の方もよろしくお願いします。

中欧連邦興亡史第二回:ロシア内戦・シベリア戦国時代

※この項はまだ設定途上のため、内容が変更される場合があります。

 ロシア内戦とは、1943年3月3日のブレスト=リトフスク条約の締結と、それに伴うロシア各地での武力蜂起に伴う紛争群の総称である。

 期間の長さや内戦の残した影響から、ロシア戦国時代、またはシベリア戦国時代もと呼ばれる。

  • ブレスト=リトフスク条約

 ブレスト=リトフスク条約とは、フランスと中欧連邦による大協商がロシアに対して突き付けた講和条約である。

 内容としては、

  1. 大協商軍との即時停戦
  2. ポーランドリトアニア、バルト、白ロシアウクライナフィンランドの独立
  3. コーカサス諸国の独立
  4. クバン地方における中欧連邦及びフランス帝国の鉄道経営権
  5. 国境地帯の非武装化
  6. 軍備及び工場立地数の制限
  7. 中欧連邦及びフランス帝国への賠償金支払い

 の7か条を中心に締結された。

 もちろんロシア内部でこれを良しとする勢力は少なく、条約締結を認めた帝国政府は急速にその支持を失い、政府の機能不全へと陥ることになる。

 

  • 革命と反乱軍の蜂起

 条約締結からおよそ1週間後には各地が独立。条約の施行が確実なものとなると、これに反発した勢力が各地で反乱を起こした。

 この混乱によって、ロシアで元々盛んだった革命運動がさらに活発化。

 混乱を抑えることが出来なかった当時の皇帝ミハイル2世(ミハイル・アレクサンドロヴィチ)は退位を宣言し、結果的にロシアは空位状態となる。

 そして1943年4月1日、モスクワで労働者による蜂起が発生。これにより、ロシア帝国は崩壊し、皇帝一家は中欧連邦へ亡命。

 以後12年に渡る、長い内戦時代の幕開けとなった。

 

  • 前半期(1943年4月~1945年7月)

 ロシア帝国の崩壊後、各地には様々な勢力が誕生した。

 クバン地方を除くウラル以西の地域を掌握する「ロシア・コミューン共和国」

 クバン地方を根拠地とし、中欧連邦やフランスの支援を受ける「クバン・コサック共和国」

 ブレスト=リトフスク条約によって独立したものの、社会主義勢力による侵攻を防ぐため内戦に介入したポーランドリトアニア連合率いる「海洋間同盟」

 ウラジオストクカムチャッカ半島の獲得を目的に介入する「日本」と「満州帝国」

 さらには、中央シベリア一帯を支配する社会主義国家「中央シベリア・ソビエト共和国」と言った、大小様々な勢力が入り乱れていた。

 しかしながら、日本勢はカムチャッカ半島ウラジオストクを手に入れると、極東シベリアの軍閥を支援しながらも、主力軍はシベリアでの兵站の負担面から冬が来る前の早期に離脱。1943年10月のことだった。

 また、内戦初期の頃は、各国が大きな軍事力を持たなかったこともあり、特にシベリア方面では大きな戦闘が展開されなかった。

 そのため、特に注目されていたのがポーランド率いる海洋間同盟、またはインテリマリウム軍とコミューン軍の戦いであった。

 またの名をポーランド・コミューン戦争と呼ばれるこの戦いは、ドニエプル攻勢と呼ばれるコミューン軍の攻勢が失敗したことにより、コミューン軍が大きく劣勢に立たされることになった。

1944年の5月にはインテリマリウム軍がモスクワに入城。その後、6月になると、コミューン軍はインテリマリウム陣営と和平を結び、ヴォルガ川を境目とする停戦ラインが結ばれた。

 領土の半分近くを奪われたコミューン軍は、勢力を巻き返すべく中央シベリアのソビエト共和国との連合を画策。

 それを実現するべく、西シベリアへの進軍を開始。中央シベリアもこれに応じ、冬季の雪や泥濘に阻まれながらも1945年7月には西シベリアが平定、ロシア・コミューン共和国と中央シベリア・ソビエト共和国はソビエト社会主義共和国連邦の成立を宣言した。

 一方、ポーランド率いるインテリマリウム陣営によって占領された地域には、ロシア臨時政府が成立した。

 この臨時政府の成立によって、クバン・コサック共和国は内戦から離脱し、独立国家としての道を歩むようになる。

 さて、この臨時共和国は成立後すぐにコミューン支持者たちによるテロルや戦争によるインフラの破壊等によって、統治がままならない状態であった。

 結局、当初は民主政によるロシア国家の運営を行うはずが、国内情勢の不安定さを見かねた当時のポーランドリトアニア連合国王であるカロル・オルブラフト・ハプスブルク=ロタルィンスキ国王によって、彼を摂政に置いたモスクワ大公国として統治されることとなった。

 

 

アクリル板のプラモ製作記 #3「ダブルオーガンダムセブンソード/G」

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さっきのビームを見られたかもしれない、破壊する(挨拶

 

ということで、久々の投稿となります。今回はダブルオーガンダムセブンソード/Gの記事となります。

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ダブルオーガンダムセブンソード/G

リボンズたちイノベイドらとの戦闘後、破壊されたダブルオーに代わる専用機の中継ぎとして改修が進められていたダブルオーの装備の一つ。

オーライザーとの併用が難しく、実戦で使用されることは無かったが、オーライザーと同等のツインドライヴの安定化システムが搭載されていた。

 

初出は機動戦士ガンダム00V戦記ということで、VSシリーズで知った方も多い機体。

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特に目立つ兵装のGNバスターソードⅡは重いですが、ダブルオーの出来の良さもあり保持には意外と困らないのが高評価

 

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また、00キット特有の可動範囲の良さを生かし、多少無茶なポージングもやりやすいです

 

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ダブルオーと言えばコレ、と言った武器のGNソードⅡ

セブンソードの場合はGNソードⅡロング・ショートと差別化されており、元のキットの様にビームサーベルモードを再現するパーツは付属していません。

 

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その代わりGNソードⅡショートの方にはワイヤーが付属しており、伸ばすことが出来ます。これいる?

 

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もちろんライフルモードへの変形も健在。ちなみに、ロングの方には側面にもグリップがあり、両手持ちも可能です。

 

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そしてGNカタール。連結させてブーメランみたいに投げてる印象しかない(殴

 

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そしてGNソードⅡブラスター。射撃にも格闘にも使える武装であり、本機の特徴を表している武装でもあります。

 

数多くあるダブルオー系キットの内一つですが、やはりプロポーションは抜群。武装のボリュームも多く、ポロリも少ないので動かしてて楽しいキットでした。

これから初めてガンプラを組むという方にもおススメしたいキットですね。

それでは最後に、

 

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トランザムで締めさせていただきます。加工画像って良いよね……

 

次回はトーリスリッターorペイルライダー陸戦重装備仕様です。

中欧連邦興亡史第一回:中央ヨーロッパ連邦

f:id:Acrylicplate:20200910004356j:plain中央ヨーロッパ連邦は、ウィーンを首都に置く君主制国家である。

  • 前史

中央ヨーロッパ連邦(以下中欧連邦)は、オーストリア=ハンガリー君主国(以下君主国)を継承する形で成立した君主制国家である。

第一次世界大戦終戦直後

1916年、ベルリンへ進撃した協商軍によってドイツ帝国が降伏した後、続くようにして君主国も降伏した。1917年、フランスのヴェルサイユ宮殿で締結されたヴェルサイユ条約によって、

ガリツィア=ロドメニアのロシアへの割譲

・南チロル、トレンティーノトリエステのイタリアへの割譲

ボスニア、ヴォイヴォディナ東部のセルビアへの割譲

トランシルヴァニアルーマニアへの割譲

・フィウメの自由港化(後にイタリアへ併合)

・イギリス、イタリアへの海軍艦艇の引き渡し

・協商各国への賠償金(後にロシア・フランスへの賠償金支払い義務は消失)

などの厳しい条件が課せられた。これにより国内は大きな混乱に陥ることになる。

・内乱の十年

ヴェルサイユ条約の締結により、海軍艦艇の引き渡しが行われ、賠償金支払いが行われるようになると、すぐに問題が浮上してきた。賠償金を支払えるだけの能力が君主国の国庫には存在しないという事実と、敗戦により、国内の民族主義的活動が活発化してきたことである。

1918年、君主国領であったハンガリーのヴォイヴォディナ西部でセルビア人組織による武装蜂起が発生。この事件に同調する形で、ハンガリー領であるクロアチアや、オーストリア領であるボヘミアにおいてもスラブ人の反乱が発生。この混乱に便乗する形でセルビア・イタリアも対墺侵攻を実行した。後に同胞団戦争と呼ばれることとなるこの戦争により、君主国は大きな混乱を迎えることとなる。

しかしながら、フィウメを占領し、スロヴェニア、ダルマティアの占領をも目論んだイタリアは、フランスからの激怒と現地での激しい抵抗に遭い、フィウメの占領とダルマティアの君主国からの分離(ダルマティア・イタリア人国)を行い、戦線から早期に離脱した。

一方のセルビアスラヴォニアの占領にこそ成功するものの、クロアチア人やボスニアのボシュニク人の抵抗により、これの鎮圧に尽力しなければならない状況に置かれてしまう。

そんな中、1919年に南ドイツで蜂起した共産主義者に感化され、ブタペストにおいても共産主義者による蜂起が発生する。

が、君主国はボヘミア人・クロアチア人との和解と妥協を行い、君主国内の新たな国家としてボヘミア王国およびクロアチア王国として独立。これにより、セルビアクロアチア王国の参戦を恐れ、クロアチアから手を引くこととなる。

一方で、ハンガリーで発生した共産主義者による蜂起は、他の君主国領においてもゼネストやデモなどによって運動への連帯を示す地域も多かった。その為、ハンガリーで蜂起したハンガリー社会主義連邦評議会共和国の鎮圧後も国内の情勢は安定せず、さらに共和派の躍進や政党政治の機能不全により、内乱状態とも呼べる状態が十年近く続くことになる。

世界恐慌

賠償金支払いやヴェルサイユ条約により、経済上の制約が大きい中、1926年にアメリカのニューヨーク株式相場が暴落し、大恐慌と呼ばれる現象が発生する。

これにより、イギリスとフランスのような植民地帝国はブロック経済による保護主義経済に移行し、イタリアや日本のような後発先進国は、恐慌に苦しめられることになる。無論、これは君主国においても同様で、ウィーンの株式市場においても大暴落が発生。賠償金支払いどころの話では済まされないほどの恐慌に陥った。超ハイパーインフレの進行と雇用の崩壊により、国内の政治的不安は爆発。国家の安定は完全に地に墜ち、革命寸前という段階にまで達していた。

・ロンドン恐慌とファシストによるクーデター

1928年、新興政党のオーストリア国民社会党が政権を握る。イタリアの国家ファシスト党の影響を受けて成立した政党だが、政権成立当初、未だに大恐慌の影響を抱えていたオーストリアであったが、国民社会党のハインツ・フランク政権となってからは比較的回復の方向へ向かっていた。しかし、1930年にイギリスのロンドン株式市場が大暴落。ロンドン恐慌が発生した。多くのヨーロッパ諸国にとって、二度目の恐慌は甚大な被害をもたらして当然の物であり、フランスでは政府が崩壊し無政府状態に、イタリアにおいても、国内の共産主義者ベニート・ムッソリーニによる国家ファシスト党とその支持者によって大混乱に陥っていた。一方、君主国でも相応の混乱が発生。そういった危機的状況に対し、イデオロギー対立に明け暮れ碌に議会政治を行おうとしない議会に愛想を尽かしたハインツ・フランクは、軍部のエンゲルベルト・ドルフースと彼を指導者に持つ祖国戦線を焚きつけクーデターを実施。その後、国民からの圧倒的支持の下、君主国に引導を渡し、中央ヨーロッパ連邦の連邦指導者として立つようになる。

中欧連邦へと移行した後も、ハプスブルク家は相も変わらずオーストリア皇帝であり、聖イシュトヴァーン王冠の守護者であり、ボヘミア王であった。

これは、ハインツ自身が敬虔な君主主義者であったことと、カトリックの守護者という存在が連邦の結束に役立つと考えたからである。

連邦は複数の連邦構成体に分けられ、軍事及び経済以外の面において自治権を有していた。構成体はオーストリア帝冠領、ボヘミア王冠領ハンガリー王冠領、クロアチア王冠領に分けられ、この時点でルーマニア王冠領とボスニア王冠領、セルビア王冠領、ポーランド王冠領の設立が計画されている。

連邦構成体はある程度の自治権こそ有するものの、二重帝国時代と異なり権力はウィーンの中央政府へ集まっている。

建国当初、連邦君主の座にはカール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンが君臨している。その後、1970年からは息子のオットー・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンへと継承され、連邦の終焉まで君主の地位に君臨し続けた。

君主国時代、多民族国家故の近代化の遅れや、指揮語の非統一による混乱によって弱さを露呈していた帝国軍だが、中欧連邦成立に伴い急速に改革が進められた。

指揮語の統一や、先の大戦の教訓に基づいた改革を始め、とりわけ失業者の受け入れ先の一つとしても、国軍の改革と強化は急務であった。

特に、陸軍においては戦車や戦闘機などの技術開発を極秘裏に行い、これらの量産化に向け躍起になっていた。事実、第三次バルカン戦争や第二次世界大戦において、連邦軍の戦車部隊や航空艦隊は大きな力を発揮した。

だが、海軍に関しては大きく注力されたわけではなかった。ハインツ自身が陸軍出身だったことに加え、当時の中欧連邦にまともな海軍を運用する港も財政も造船所も無く、第二次世界大戦後にイタリア軍の技術によりようやく外海艦隊を建造することが出来た程度である。

  • 対外政策

対外関係においては、特にフランスとの関係を重視した。これは、当時フランスとイギリスが貿易や植民地、大陸での勢力関係において対立し、孤立していたことや、仮想敵たるイタリアがイギリス寄りの姿勢を強めていたこと、プロイセンがイギリスへ接近したためである。

特に、1936年にフランスが帝政復古して以降関係性はさらに深まり、1937年には中仏大協商を締結。対英姿勢を明確にした。

そして翌年、フランスと共に第二次世界大戦へ突入する。

  • 国内政策

ベニート・ムッソリーニの提唱したファシズムに影響を受けて成立した中欧連邦であるが、国内での政策は社会主義寄りの政策を取っていた。

後の歴史家が"軍事社会主義"や"社会民族主義"と呼ぶように、過剰な連邦軍神話や「諸民族の軍隊」「盾にして矛たる国軍」「双頭の鷲の鋭利たる爪」などといったように、軍隊を中心としたプロパガンダを多く流布。失業者などをも軍隊に取り込み、さらには過剰な民族主義を外へ向けさせるための矛としても用いていた。

また、カトリックの保護や企業の国有化を実施。土地改革なども行われた。

これらの諸政策には、イタリアから亡命したベニート・ムッソリーニファシスト党の人々も関わっており、特に軍からの支持も厚かったと言う。

  • 二次大戦後

・7月9日事変

第二次世界大戦後、英国陣営に勝利した中欧連邦はセルビアルーマニア・南ドイツを併合し、プロイセンからもシレジアを奪還した。また、実質的にドイツ全域を影響下に置き、欧州大陸での覇権を握ることになる。

さらに、旧イタリア王国において、ベニート・ムッソリーニを首班に据えたイタリア社会共和国を樹立。中欧における絶対的な影響力を確立する。

その後、ロシアで起きた内戦ではポーランドリトアニア連合を支援。最終的に

最終的に、中欧連邦は中欧に留まらず、北欧や東欧、南欧にまで勢力を伸ばした。

しかしその後、新大陸やアフリカ、インドを中心に拡大したフランス帝国とは次第に対立が深まっていく。ハインツ・フランクは同盟関係を弁えた人物であったため、彼が存命している内は明確な対立こそ起きなかったものの、それでもフランスに劣らない独立勢力圏の維持は、断固として譲らなかった。

だが、彼が亡くなった1976年の7月9日、次期連邦指導者の座を巡り、親仏の内務省閥と独立派の国家親衛隊の間で政変が起きる。

7月9日事変と呼ばれる事件は、フランスの支援を受けた内務省閥の勝利に終わり、これ以降、中欧連邦は15年の間、フランスの衛星国となる。

・連邦の解体

フランスの衛星国と(事実上)なってから15年の1991年、中欧連邦では革命の機運が高まっていた。と言うのも、前年度にウクライナが連邦の勢力圏を離脱して以降、ポーランドや北欧諸国も陣営を離脱し、旧ドイツでも再統一運動が盛んに叫ばれていたからである。

当時の連邦指導者であったルドルフ・レーフラーが急病で倒れると、連邦軍青年将校らによってクーデターが発生。これに対し、当時の政府は国家親衛隊や警察などで対抗し、あわや内戦という段階にまで達した。だが、当時の皇帝であるオットー・フォン・ハプスブルクロートリンゲンの出した勅書により、彼が連邦指導者の立場に就いたことで状況は一変する。

クーデターの発生による連邦の不安定化は、各地の独立運動を刺激し、激化させていた。実際、中欧連邦領バイエルンでは独立宣言が行われ、プロイセンハノーファーと共にドイツ連邦の結成を宣言した他、ルーマニアセルビアでも独立運動が激化し、これに対し連邦軍は有効な対抗が出来ずにいた。

そして、ここに中欧連邦の潮時を見定めた皇帝オットーは、彼の名の下において連邦解体を宣言し、ここに中央ヨーロッパ連邦という国家は消滅した。

・解体後

中欧連邦解体後、その跡地からはルーマニア王国ユーゴスラビア共和国、ドナウ連邦が独立した。

ドナウ連邦においても、オットー・フォン・ハプスブルクは皇帝の位置に在り続け、民主主義の象徴としても君臨していた。また、旧勢力圏の国々と共に、汎ヨーロッパ連合を樹立。意外にも、ユーゴスラビアを除く多くの国々がこの連合に加盟し(後にユーゴスラビアも加盟する)、国際社会における存在感は失われていなかった。

また、フランス帝国においても、ブリテン島での反乱や植民地の離反などがあり、結果的に中欧連邦の崩壊を食い止めることが出来なかった。全盛期と比べ、はるかに衰えたフランス帝国も、このヨーロッパの大連合に加わることになった。

こうして、ヨーロッパはフランス、ドイツ連邦、ポーランドリトアニアウクライナ、ドナウ連邦、イタリアといった主要国を中心に、新たな秩序が築かれていくことになる。